聴き手が受け身になってしまうワケ
たとえば、あなたが何らかのセミナーに出たときのことを思い出してほしい。こんな経験はないだろうか?
セミナーのテーマについて学ぼうと思ったからこそ受講したはずなのに、いつの間にかセミナー講師への評価ばかりしてしまっていた。しゃべりが上手いとか下手だとか。事例が古いとか。
このようなことはよく起こりがちなのだが、実はそうなることにも理由がある。話し手と聴き手のポジションがそうさせるのだ。
セミナーに限らずプレゼン全般は、話し手が発信者で、聴き手は受信者。この立ち位置のせいで、聴き手は気持ちまで受け身になってしまう。ただ単に話を聴いていれば良いのだという気持ちになってくる。
表現を変えると、聴き手がいつのまにか「自分は何かをおこなう責任を持った当事者ではなく、傍観者・評価者なのだ」という自己認識にさせられてしまうのだ。
たとえば、自社の社長のスピーチを聞いた社員が「うちの社長は現場をわかっていない」とか、文句だけを述べてしまうのはその典型例。社長は自分の話を聴いた社員たちに「ならば自分はどうするか。現場にどう反映させるか」を考えてほしいはずなのに。
しかし残念ながら、話し手/聴き手の構造上の話なので、自然とそうなってしまいがち。だから、普通に話したのではなかなか社長の思い通りには事が進まない。
ところが、うまいプレゼンターはこの構造上の問題を良しとせず、真向から立ち向かう。聴き手に、自らが当事者なのだと認識してもらうためのアプローチを忘れない。
聴き手を主語にして「あなたの行動にかかっている。すべてはあなたの行動次第だ」と言い切る。
たとえば、以下は橋下徹氏の街頭演説。
突きつけるときは「私の準備と覚悟はできている」とセットで
しかし、この「すべてはあなた次第だ」と言い切ることには、話し手側にも勇気がいる。なぜならば、聴き方によっては「事の成否は私の責任ではなく、あなたの責任」という責任転嫁にも聞こえてしまうからだ。
だからそう聞こえないように、”突きつける”を使う際には、自分の話をセットにする。「私のほうは、もうとっくに準備と覚悟はできている。しかし、私だけががんばって達成されるものではないのも事実。あとは、あなた次第。ぜひ、力を貸してほしい」そんなアプローチに持っていく。
私は、研修の最中などで、受講者に集中できていない人がいると感じたとき、以下のような話をする。
私は今日、この研修をみなさんにとって”集中できる環境”として提供したいと考えています。私は講師として、当然そこに100%コミットします。できる限りの情報を、できる限りの情熱で提供するつもりです。
でも、環境は私ひとりでつくるものではなく、みなさんと一緒につくるものですよね。みなさんの中に、仕事が気になって携帯をいじる人がいたとしたら、この環境自体が緩んでしまいます。ぜひみなさんにも、自分自身のために、まわりの仲間のために、環境づくりに協力してほしいのです。