ルミネの広告フレーズがどうしようもなく心に刺さる。
コピーをつくっているのは博報堂のコピーライター尾形真理子さん。
高成約のプレゼンテーションという視点からも素晴らしいので、独断で解説したいと思います。
~目次~
別人にはなれないから自分を可愛くすればいい。
ルミネ広告フレーズのほとんどに共通するのは「服」という一番売りたいものが単語としてほとんど出てこないことです。
にもかかわらずというか、だからこそ素晴らしい。
なぜならば、服の話をすればするほど売込みくさくなるから。凡庸な広告のひとつになりさがってしまいます。
服を買うのではなく、可愛い自分を買う。
スペックではなくベネフィットを買う。王道のアプローチであり、もっとも大切なことです。
生まれ変わるなら、またわたしでいい。
可愛い自分になれることを期待して服を買うのであれば、その前提に必要なのが「素敵な服に着替えれば、わたしはかわいくなれる!」という思いです。
もしも「どうせわたしなんて、何を着たって一緒だから…」なんて思っていたとしたら、もうなんともならないわけで。
だからショッピングをするのに望ましい気持ちにフォーカスしてもらう。
「日々生きていたら色々あるけれど、なんだかんだ言ってわたしってまぁまぁ良くない?」そんなポジティブに光を当ててもらうのです。
ちなみに「わたしがいい」でなく「わたしでいい」なところが絶妙だなと唸りました。
去年の服が似合わなかった。わたしが前進しちゃうからだ。
もうこれとか天才的。
去年買ったところの服があるのに新しいものに目を向けるのって、なんだかもったいない気がする。そういう思いは誰しもあると思うのです。
でもその”もったいない感”は売り手から見ると捨ててほしい。だって新しい服を買ってほしいわけですから(←ここが広告のゴール)。
だから新しい服を買っていい正当な視点を提案する。
「服はコロコロ買い替えるものなのではなく、前進した自分に合わせてバージョンアップさせるものなんですよ」と。
あと、多くの方はこの広告コピーから孫正義さんのツイートを思い出したのでは?どっちが先なんでしょうね(笑)
自分が好きな自分が嫌い。自分を嫌うのはもっと嫌い。
コツ2で書いたように、買い手が購入に望ましい心理状態になっているほうが購買行動は起こりやすい。ここでは、「可愛くなれるって知っているわたし」ですね。
でもこの表現をしたときに反発する層が確実にいるわけです。「そんなふうに思いあがってる自分ってダサい」みたいな。
広告コピーで必要なのは、受け入れやすいサジ加減にするということです。
自分のこと好きになれと言っても刺さらないから、逆に振って受け止めやすくする。
「でも、自分のこと嫌うよりマシじゃない?」って。
一目惚れしてほしい。会うたびに何度でも。
一目惚れされるって、すごく嬉しい。最上級に。そして、場面が絵に浮かびませんか?
広告コピーが言葉として受け止められるのか、ビジュアルとして受け止められるのかで影響度は大きく違います。もちろん後者が望ましい。
しかも「会うたびに何度でも」という表現から、相手は何度も会うだけの人つまり彼氏だというのが言わずとも想像できます。
この、言わずとも想像できるというところが切れ味鋭いわけです。
寝不足より、悪口より、退屈がわたしをブスにする。
家から出ない生活って、服を買わなさそうです。誰に見せるわけでもないし。もっと外に出れば当然おしゃれもするし、そのために服も買います。
なのでこの広告で狙うのは外出の多いライフスタイルです。
ただし「家にこもってないで外に出ましょうよ」という表現はすごく説教臭い。広告にお説教なんてされたくありません。
だから”家にいる生活”というストレートな表現は使わずに、それをやんわり”退屈”と表現している。家にいる生活の否定はカドが立ちますが、退屈な生活を否定してもカドが立たないわけです。
ちなみに「外出の多いライフスタイル/家にいるライフスタイル」というコピーに出てこないものを連想させるために、撮影に原っぱとソファが使われています。
他の広告写真を見るとわかりますが、かなり非日常で幻想的な背景が多いんですが、これだけはあえてそうしない。というのは、退屈からの脱却で”外出”をイメージさせないといけないからです。
似合ってるから、脱がせたくなる。
まさに!
脱皮したら、春。
コツ3の「わたしが成長しちゃうからだ」にも通ずるのがこの「脱皮したら、春。」
成長したあなたにふさわしい一枚をという切り口ですが、それを脱皮というワンフレーズで表現しきるところがプロです。
脱皮ということばには誰しも成長を感じる。サナギが蝶になるように。春の服はあなたを蝶のように美しく成長させてくれるというメッセージ。
選び抜かれた比喩表現にはそれだけの威力があります。
未来を信じてなきゃ服なんて買えない。
「未来を信じてなきゃ、服なんて買えない。」言いかえれば、服が買えるのは未来の自分が良くなると信じているから。
ハッピーな未来を想像させるというのは王道のアプローチですし、それはここまでの例でもあったとおり。
このコピーがさらに優れているのは、そのメッセージを自尊心を満たすことにすら役立てているところ。
「服が買えるあなたは、もっと未来がよくなると信じられるポジティブな人です」なんて。
運命を狂わせるほどの恋を、女は忘れられる。
根本にあるメッセージは「忘れる=過去を捨てる」。
運命を狂わすほどの恋ですら忘れられるあなたが、過去のしがらみにとらわれるわけはない。そして過去を捨てた先には未来しかない。新しい世界に向けて、そりゃ新しい服買うでしょ?という感じ(笑)
未来に目を向けるコピーは他にもあるのですが、このコピーはそこに加えて特徴的なところがあります。
感情が一瞬にして揺り動かされるような言葉で印象付けられているところです。
「運命を狂わすほどの恋」という表現。読み手は自分の歴史の中で一番それに近いものを連想するのでは?
そうすると感情が揺れずにはいられません。そして印象につよく刷り込まれるのです。
会えない日もちゃんと可愛くてごめんなさい。
会える日とは、彼氏にかわいい自分を見せる日。当然、おしゃれしていきます。
会えない日とは、職場や学校などの日常空間。彼氏の立場でいえば、自分と会ってないときのおしゃれって「どこの男の目をきにしてんの?」という気分になったりします(多くの男は器がちっちゃい)。
でも女性目線で見れば、かわいい自分であることが大切なわけで、気を抜いている自分なんてアガんない。
そして、それが「ちゃんと」であると。
この「ちゃんと」の基準があがると、服が売れるわけです。だって、おしゃれする頻度が高まるわけですから。
運勢は生まれた日より、選んだ服で変わると思う
個人的にはこのコピーはそれほど良いとは思いません。「服」って言葉を直球で使ってしまうことで、一気に売り込みっぽさが臭うから。
ただそのなかでも良いと思うのが「運勢は生まれた日より」というフレーズ。
朝一番にテレビをつけて、めざましTVで星占いのコーナーをやっていて、その結果に一喜一憂する。そんな絵が浮かびます。
それと同じように、服を合わせてみてテンションがあがったり、気分がのらなかったりする。
そしてどっちがハッピーな一日に影響を与えるかというと、やっぱり後者。そんなことをこのフレーズから思い出したら、新しい服を欲しくなりませんか?
さいごに
ルミネの広告フレーズは、「一歩先のわたしへ」という自分みがき系と、「女は愛されてこそ」という色気系に分かれるように思います。
どっちもいいけど、後者のほうが好きかな。欲望に忠実で、フレーズを見た人の心の壁を溶かしてくれそうです。